
こんにちは、ぽてちです。
家族で夕食を囲む。
出来たてのごはんを「早く食べなよ」と声をかけられる。
きっと多くの人にとっては当たり前の光景だと思います。
でも、私にはそれがありませんでした。
家族で食卓を囲めないこども時代
親はいつも仕事で家にいませんでした。
だから、家族全員でご飯を食べるなんてことは年に一度もありませんでした。
同級生や近所の子が、親とスーパーに行ったり、夕食を一緒に食べたりしている姿が羨ましくてたまりませんでした。
私にとってそれは「テレビの中の世界」のようで、現実の自分には縁がないものでした。
出来立てのごはんを食べる習慣がなかった
そんな環境の中で育ち、私は「出来たてのごはんをすぐ食べる」という感覚を知りませんでした。
結婚してから、同じ食卓で「出来たてなんだから早く食べてね」と言われて、はっとしました。
それが普通なんだ、と。
私にとっては衝撃でした。
出来たてを分け合うことが、家族の日常の一部であること。
その小さな当たり前が、私には欠けていたのです。
お正月も家族で過ごさなかった
思い返せば、お正月でさえ家族でご飯を食べることはありませんでした。
親は仕事に出かけていて、年に一度の特別な日でさえ一緒に過ごせない。
周りの家庭は家族団らんでおせちを囲んでいるのに、私は一人でテレビを見ながら食べるだけ。
「家族で食べるごはん」という文化が、自分にはまったく育たなかったんです。
今となって思うこと。
今振り返ると、この「当たり前の欠如」は大きな影響を与えていたと思います。
みんながしていることを自分だけ知らない
家族と同じ時間を共有できない孤独感
そうした積み重ねが「自分は大事にされていないのかも」という感覚につながり、自己肯定感を弱めていったのだと思います。
貴方にとっても「当たり前」とは?
家族で食卓を囲む。
出来たてのごはんを一緒に食べる。
その「当たり前」がない子ども時代を過ごした私は、結婚して初めてその価値を知りました。
あなたの家庭には、どんな“当たり前”がありましたか?
それを失ったら、どんな気持ちになると思いますか?
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