投稿者: pooroj1marudash1

  • 親との外出

    こんにちは、ぽてちです。


    いきなりですが、親と外出した思い出が、私にはありません。
    一緒にスーパーに行ったことも、コンビニに入ったことも、年に数回あったかどうか。

    「お母さんとお父さんとお出かけしたんだ!」


    そんな言葉を口にしたことは、⋯⋯できたことは一度もありませんでした。

    親の仕事がいそがしかった、と言えばそれまでなのかもしれませんが、一度もないというのは普通ではなかった気がします。







    行かないことが”当たり前”化していた日常


    多くの子どもにとって「親と一緒に出かける」のはごく自然なことだと思います。
    でも、私にとってはそれが欠けているのが普通でした。

    だから、周りの子が親と買い物していても、羨ましいと感じることすらありませんでした。



    そもそも比較できる経験がなかったから。
    「行かないのが当たり前」だったのです。








    一緒に公園等に行った記憶がない


    金銭的な事情や仕事の都合などの理由で、ほとんど出かけない家庭は少なくないと思いますし、自分の両親にも理由はあったと思います。


    でも、母と公園に行った記憶すらありません。
    小さな遊びや短いおでかけさえ、なかったのです。



    子どもにとって、特別なお出かけじゃなくてもいい。
    五分、いや一分でもいい。


    「一緒にいようとしてくれる」その時間が、僕にはとてつもなくほしかった。








    大人になった今だからこそ思うこと。




    当時は「これが普通」と思っていました。

    けれど大人になった今、やっと「少し寂しい子供時代だな」と感じます。



    外出の記憶がないということは、家族との思い出の空白がある、それもとても大きなものであるということ。
    その空白は、大人になってからじわじわと心に響いてくるものなのだと気づきました。




    親と出かけた思い出はありますか?
    スーパーでも、公園でも、何気ない時間でも。



    私にはなかったその時間が、実はとても尊いものだと今は分かります。


    自分自身が親になったからこそはっきりとわかったのですが、家族と過ごす時間は本当に大切にしないといけないと思います。



    出張で家を空けてしまうこともあるのですが、家にいるときは一緒に過ごす時間をたくさん作り、寂しい思いをさせないよう努めています。

  • 家具家電を勝手に全部決めて、結婚が危うかった話


    こんにちは、ぽてちです。

    今回は毒親、と直接的な関係はないかもしれませんが、
    家族と話し合って色んなことを決めていく、という視点が一切なかった自分が犯した大失敗の話です。




    結婚して新生活を始めたとき、私は何も考えずに家具や家電を揃えました。



    「必要そうなものを、とにかく安くで」



    そんな感覚で、全部を自分の判断だけで決めてしまったのです。






    失敗だらけの家具家電選び

    何故一言もなく全て揃えてしまったのか、と、非難轟々でした。

    その結果どうなったか。
    後から


    「この機能はついていなくてもよかった、比較的高かったのに⋯」

    「これは不便すぎて買い替えなくてはならない」


    ということが次々に発覚。

    動ける時間がある方が決めて、早いもの勝ち、というわけではありませんが⋯
    冷蔵庫も、洗濯機も、掃除機も、テレビも。
    全ての家具家電を、僕だけの意見で僕が無断で購入したため、結果的に全ての買い物が大失敗になってしまいました。






    パートナーの希望を全部折ってしまった

    もっと大きな問題はそこからでした。
    結局それは「パートナーの希望を無視する」ことにつながってしまったのです。

    「このサイズはさすがに不便すぎる」

    「ここは絶対に欲しかった機能なのに」



    パートナーにとっては、私の独断で“選択肢を奪われた”形になりました。
    結果として、結婚生活の最初の段階で禍根を残しかける事態に。

    今もパートナーにはこの件では謝り続けていますし、
    なんと勝手なことをしたんだ⋯と、今はよく理解しているつもりです。






    今となって気づいたこと


    今振り返ると、「家具家電は相談して選ぶ」なんて当たり前のことです。
    でも当時の私は、その当たり前に気づいていませんでした。

    結婚生活は2人で暮らすもの。
    それなのに、私は1人の生活の延長線上で物事を決めてしまったのです。

    小さなことの積み重ねが、夫婦関係を壊すきっかけになる。
    それを痛感した出来事でした。




    あなたはどうしていますか?


    家具や家電を揃えるとき、あなたはパートナーとよく相談しましたか?
    私にとっては当たり前ではなかったけれど、今では「2人で選ぶことが当たり前」だと思っています。


    ほんの少しの相談で、結婚生活のスタートは大きく変わるのかもしれません。

  • 家族の食卓


    こんにちは、ぽてちです。



    家族で夕食を囲む。
    出来たてのごはんを「早く食べなよ」と声をかけられる。

    きっと多くの人にとっては当たり前の光景だと思います。
    でも、私にはそれがありませんでした。





    家族で食卓を囲めないこども時代

    親はいつも仕事で家にいませんでした。
    だから、家族全員でご飯を食べるなんてことは年に一度もありませんでした。

    同級生や近所の子が、親とスーパーに行ったり、夕食を一緒に食べたりしている姿が羨ましくてたまりませんでした。
    私にとってそれは「テレビの中の世界」のようで、現実の自分には縁がないものでした。




    出来立てのごはんを食べる習慣がなかった

    そんな環境の中で育ち、私は「出来たてのごはんをすぐ食べる」という感覚を知りませんでした。

    結婚してから、同じ食卓で「出来たてなんだから早く食べてね」と言われて、はっとしました。
    それが普通なんだ、と。
    私にとっては衝撃でした。

    出来たてを分け合うことが、家族の日常の一部であること。
    その小さな当たり前が、私には欠けていたのです。




    お正月も家族で過ごさなかった

    思い返せば、お正月でさえ家族でご飯を食べることはありませんでした。
    親は仕事に出かけていて、年に一度の特別な日でさえ一緒に過ごせない。

    周りの家庭は家族団らんでおせちを囲んでいるのに、私は一人でテレビを見ながら食べるだけ。
    「家族で食べるごはん」という文化が、自分にはまったく育たなかったんです。




    今となって思うこと。

    今振り返ると、この「当たり前の欠如」は大きな影響を与えていたと思います。

    みんながしていることを自分だけ知らない

    家族と同じ時間を共有できない孤独感

    そうした積み重ねが「自分は大事にされていないのかも」という感覚につながり、自己肯定感を弱めていったのだと思います。




    貴方にとっても「当たり前」とは?

    家族で食卓を囲む。
    出来たてのごはんを一緒に食べる。
    その「当たり前」がない子ども時代を過ごした私は、結婚して初めてその価値を知りました。

    あなたの家庭には、どんな“当たり前”がありましたか?
    それを失ったら、どんな気持ちになると思いますか?

  • 毒親から受けてきたこと

    こんにちは、ぽてちです。

    ニュースで見たことがある方が多いと思いますが、

    自分の子供を親が虐待したというもの。

    自分の両親も手段は違えど、

    似たようなことをしていたのではないかと思っています。

    辛いことと言われたりされたりするたびに、

    しつけだの教育だの、はたまた、

    「兄弟達はやってきたのだからお前もできて当たり前」

    という言葉もかけられ、

    正直言ってとても辛い幼少期でした。

    自分が何かこうしたい!と言った意見を提示すると、

    開口一番に突っぱねられたこともしばしば。

    今考えても自分はごく一般的なことしか言っていないはずで、

    なぜあの時自分は、怒鳴られ、人格否定までされないといけなか

    ったんだろうと、未だに悔しくて涙が出るときもあります。

    「分からなければ聞け」と言われたのにいざ尋ねると、

    「今忙しい、それぐらい自分で考えろ」と言われる始末。

    自分の足りない頭を使って考えて、こうじゃないかと発言しても

    「それは違うだろう」と言われ、私の意見は通りませんでした。

    両親の意見がすべてだという風に思ってしまい、

    「それに従えば何とかなる」

    と親元を離れて生活するまで信じ込んでいました。

    しかしそれは大きな誤りに気付くのに相当の年月を要した結果、

    おかげさまで私は自分の発言や行動に一切の自信をもつことが

    できません。

    そして両親からの教えや常識も間違っているものも多く、

    今までの自分の苦労はなんだったのだろう、と……。

    両親の意見を正当化し、それを押し付けてくる行為はただただ

    苦しかった。姉や兄ともよく比較され、「姉と兄はできているの

    に何故お前はできないんだ」というありがたいお言葉も頂戴した

    ものです。

    ちなみに両親は共働きで、夜も仕事でいないため基本的には

    祖母が面倒を見てくれていました。

    親からのしつけはしつけというよりも、

    「やっておけ」

    という命令だったように思えます。

    その弊害かどうかはわからないですが、私には一般常識や、

    生活をする上での当たり前の知識が著しく欠けていると

    思っています。

    努力していないだけ、と言われればそれまでではあるのですが、

    今は一生懸命人並みに追いつけるよう、

    本を読んだり、話を聞いてもらったりして、

    周りに溶け込めるよう努力している最中です。

    「え、どうしたの……?」

    という顔をふとした時に周りの人にさせてしまう時があり、

    あぁ、また何かおかしいことをしたのか?

    と、自分にがっかりしてしまいます。

    何が正しくて何が間違っているかの判断も怪しいし、自信が

    もてないことで、

    「自分は悪いことをしているのではないか」

    という考えが頭をよぎってしまい、最終的に自分には、

    ばれるようなことでもその場でばれたくない

    という考えが強くなってしまい、うそをつく癖がつきました。

    いけない、と思い続けてはいましたが治りきらず、

    結果、積み重ねた信頼などをすべて失ったこともあります。

    一度失った信頼を取り戻すことはそれまでの何十倍、何百倍もの

    努力が必要だと思っていますが、

    私の場合うそにうそを塗り固めていくという、

    人として一番やってはいけない行為をしてきましたので、

    簡単に払拭できないとは思っています。

    人生を一からやり直すつもりで、積み重ねているところです。

    一つ言えることは、

    「素直になること」

    が、前に進むための第一歩ではないでしょうか。

    良いことも悪いことも。

    日常会話のなかで隠すことなく話をする。

    それがすべてであり、

    僕が前に進むためのきっかけになると思っています。

  • はじめまして

    はじめまして、ぽてちと申します。
    当ブログでは、毒親に育てられた一人の男が受けた仕打ちや、自身が犯した過去の失敗談などを書き起こしていきます。

    まずは簡単な自己紹介を。

    ・何歳?
    →30代の男です。
    ・結婚は?
    →既婚です。
    ・仕事は?
    →高卒から働き始め、今までずっと同じ職場で働き続けています。
    ・家族構成は?
    →両親、姉、兄、自分の順。末弟ですね。

     私が毒親に関するブログを書き起こそうと思った経緯ですが、自分の内にある気持ちを言葉に出して吐き出すことがとても難しく、もしこのブログを読んでいただいた方で似たような経験をされてきた方や共感などを覚えていただける方がもしいましたら、意見交換ができると嬉しいと思い、今に至っています。
     もしかしたら私が今後書き起こしていく内容が毒親から受けた影響によるものか、または私自身の無知や誤った考え方によるものなのか、はたまた両方なのかはわかりません。

     それでも当ブログに少しでも興味をもっていただける方がひとりでもいたら嬉しいです。浅く薄い内容になるかもしれませんが、私の体験談や経験談を発信していきたいと思いますので、よろしくお願いします。